平成という時代はよく「失われた30年」と言われたりもしますし、平成の時代のほとんどが景気があまりよくなくて社会全体に
お金がうまく循環していなかった時代みたいなイメージもありそうなのですけど、昭和の時代末期から平成初期の時代は
実は俗にいう「バブル期」と呼ばれるほど確かに短い期間ではありましたけど、異常に景気が良くて
社会全体に(ヘンな意味で)お金が溢れかえっていたような時期もあったように感じられます。
私自身、当ブログで何度か語っている通り、そのバブル期の時代と私自身の金融機関における新社会人生活を
過ごしていた時期とピタリとリンクしていますので、当時の頃は今でも大変鮮明に思いますし、なつかしくも感じるのですけど、
やはり今にして思うとちょっと異常な時代だったのかもしれないと今更ながら振り返ったりもします。
金融機関における新社会人の頃、結構早い時期からまだ金融機関のイロハや専門的な事をほとんど何もわからず
何が分からないのかすらも分かってはいない頃から、「お前は融資課の窓口担当をやれ」と指示され、
「そんなお金の相談やお金を借りたい人の相談なんて無理無理・・」と思っていましたけど、
「別にそんな難しく考える事ないよ・・、そうしたお金分かりたい人からの相談があればまずじっくりとその人の話を聞いて、
概要をまとめて各営業担当に情報として廻すだけでそれでいい・・」という事でしたので、
まずはそうした窓口での情報収集と情報の発信者としての役割をさせられていたと思います。
そうした流れの中で自然な形で、住宅ローンの新規取り扱いとか住宅金融公庫との併用ローンの進め方や、
保証協会付融資とか保証会社の債務保証によるフリーローンとかカードローンといった比較的易しい融資案件の進め方は
実地で学べっていったようにも感じられます。
(そうした経験は後年に自分自身が営業担当に配置された時にとてつもなく有効に役立ったと思います・・)
そして当時金融機関の融資窓口業務に関わっていると、とにかくやってくる人の中にはやたらと不動産屋さんが
多かったのが大変印象的でもありました。
当時私が在籍していた支店は千葉県佐倉市と言う事で、成田に比較的近く、当時は酒々井・八街・印西・印旛郡・四街道
あたりに土地を商品物件として購入し、それを購入金額よりも高い金額で転売する事でその利ザヤを稼ぐ
不動産屋さんが相当多かった印象があります。
あの当時は1990年以降の総量規制もなく各金融機関が自由に不動産屋にじゃぶじゃぶ融資が可能だった時代ですし、
当時は住宅購入希望者が多いのに首都圏にそうした手頃な物件がなくなりつつあり、印西・佐倉市・八街あたりでも
通勤が可能ならばそれで全然Okという感じで土地や建売住宅が売り出さればあっというまに買い手が付く時代でしたので、
不動産業者が先物的に商品物件として土地をまずは購入しておこう・・、そのための軍資金として金融機関から
お金を融通して貰おう・・という風潮だったと思います。
当時は、例えば1億で土地を仕入れ、その購入代金全額が金融機関融資で賄うのは普通の感覚でしたし、
土地を仕入れて金融機関からお金を借りても、あっという間にその仕入れた土地が購入価格の3割以上の金額で
転売できましたし、金融機関からの貸出利息や諸経費を払ったとしても、濡れ手に粟状態で次から次へと儲かるという
感じでもあったと思います。
一般的にそうした不動産業者への融資は「手形貸付」という書式で実行され、借主から金融機関宛の約束手形を振り出し、
金融機関は借主に手形に書かれている額面から利息分を引いただけの融資金額を交付するという方法で
主に1~2ヶ月程度の短期間融資の際に用いられていた方法でした。
不動産業者の算盤勘定としても「なーに、一ヶ月もしないうちにどうせ簡単に転売できてしまうし、返済期限到来の前に
全額完済できるし、万が一売れなかったとしても、金融機関に依頼して期限延長の条件変更融資の稟議を
書いて貰えば簡単に期限延長できるから全然問題ない・・」という認識だったと思います。
とにかくバブル時代の不動産屋さんはえらい儲かっていましね~
だって金融機関融資で手持ちゼロでお金が借りられ、それを原資として土地を購入すれば、あっという間に買い手がつくか
さもなくば業者間同士の転売で土地を転がせるし、一般的に1000万で購入した土地は数か月以内には
1200~1400万程度で簡単に売却できましたし、その差額の利ザヤで不動産業者は儲かって儲かって笑いが止まらないという
感じでしたし、それが結果的にバブル景気だったのかもしれないですし、日本の「土地神話」がまだ生きていた頃の
お話だったのかもしれないです。
当時の融資課窓口も担当していた私は取引先の不動産屋が仕入れた商品物件としての土地を金融機関的に
担保として問題ないのかという観点から調査し、
(具体的には近隣売買事例を聞き込み、周辺の路線価等を参考にしながら、金融機関所定の書式の
不動産担保調書とか決算書をベースに決算分析調査書みたいなものをやたらと書いていた記憶がありますね)
不動産業者が購入予定の印西とか八街や四街道の土地の調査やヒアリングに行かされたり、不動産業者の土地購入時に
おいて登記上の先順位がある場合において融資決済による抵当権抹消の立ち合いに司法書士と共に他行に同行
させられたりと、あの頃は「融資やお金の流れがよく分からないけど、とにかくやたらと忙しかったし、世の中全体に
異様な熱気と活気があった」と言う事は間違いないと思ったりもします。
あの時の感覚としては、「この金満日本! カネが溢れかえっているこの豊かな日本で私達もそのおこぼれに預かって何が悪い!」
みたいな俗にいうバブル感覚みたいな雰囲気は間違いなくあったと思います。
当時はみんながみんな高い給料を貰っているという事はそれほど無かったと思うのですけど、感覚としては
「この好景気は永遠に続くから、今を楽しまないで一体いつ楽しむの? そんなお金なんてじゃんじゃん使えばいいじゃん!
どうせ給料何て後からうなぎ登りに上がってくるから・・!
それに、お金がなくたって銀行がいくらでもお金を貸してくれるよ!」みたいな感覚は結構強かったようにも感じられます。
当時の風潮は「金融機関と言うものは不動産担保さえ取っていればバンバンお金を貸してもいい」」みたいな
感じでしたし、私自身もそうした時代に金融機関デビューを果たしていましたので、当時のそうした誤った風潮に
自分自身がなんとなく洗脳されていたという事も多少はあったと思います。
本来融」というものは、ヒト(借りる方の人間性)・モノ(不動産担保価値)・カネ(決算状況・資産繰り)の三点を
バランスよく鑑みて、その融資が可なのか否なのかを判断しないといけないものなのですけど、
当時のそうした謝った風潮に流されてしまい、
「不動産担保価値が足りない・・? それならば路線価や公示価格の7割で評価するのではなくて100%そのもので
評価すればいいじゃん・・・
土地なんてこの先幾らでも上がるし、担保価値を水増ししたって問題ないよ・・
場合によっては近隣売買事例をテキトーにでっちあげて、この不動産担保融資に見合うような担保調書を早いとこ作って
本店に稟議上げて稟議を通してさっさとこの融資を実行しろよ!」と融資課長や営業課長に指示され、
「本当にこれでいいのかな・・?」と多少は疑問に感じながらも
そうした風潮に流されていったのがバブル期の私だったのかもしれないです。
お金を貸すというのは大変リスクがあるという事を認識するのは、その後まもなくの事で、それが俗にいうバブル崩壊
だったのだと思います。
なによりもあの頃は金融機関がバタバタ破綻する時代が来るとか1000万円までした保証されないという事を
考えた事はなかったですし、金融機関が普通に倒産するという現在の常識は全く無かったと思います。
そうした平成時代の反省と後悔を踏まえつつ、令和の時代に平成の時代の反省を反映出来ればいいな・・と思ったりもします。
かつての高度成長期とかあの昭和末期から平成初期の異常なバブル景気のようなすさまじい成長というのは
今後の日本においては最早ありえないものだと私自身は認識しています。
今後の展望ですけど、そうした成長とか景気の好循環の維持という方向性ではなくて、ゼロ成長というのか、
別に経済はこれ以上成長しなくても構わないし、成長を目指すというヘンなプレッシャーから解放されて
最高で現状維持、通常は極めてゆるやかなマイナス成長だって構わないのではないのかな・・・とすら感じます。
社会全体が成長というのではなくて 、精神的なゆとりとか日々の仕事やお金の事でギスギスした荒れた生活を
送るのではなくて、 限られた「成長」というパイの中で、自分の生活水準に相応しい楽しみ方を一人一人が見出していくという
方向性にそろそろシフトをしていってもいいのかな・・?とふと感じたりする瞬間もあったりします。
現在の日本の経済・社会においてはさまざまな問題が既に噴出しているのですけど、その根本的原因についての
議論がいまだに低調なのは果たしてどうなのかな・・?と感じる事もあったりします。
それでは今現在の経済システムにおいて何が特に問題があるのかと言うと、お金が社会全体に「生き金」として
滞留していないから色々と問題発生するとも思えますし、それが今後の近未来の日本社会においてかなり大きな問題に
なりそうな「格差」の問題ともリンクしてくるような気もします。
俗に「江戸っ子は宵越しの金を持たない」とかいいますけど、これは意外といい線を付いている言葉なのかもしれないです。
社会全体にあるお金、特に相続財産とか内部留保とか富裕層の資産をいかに「生き金」として社会に循環させていくのか・・
そうした事がもしかしたら嫌でも検討せざるを得ない社会がもしかしたら本当に到来するのかもしれないです。
既に様々な歪みが生じていた格差・世代閣格差・土地・金融資産を持つものともたざる者の格差と
そうした格差が子供や孫の代にも生まれながらの格差を既に生じさせている負の問題に対して
今の内から対策を講ずる必要があるのかもしれないと考えたりもします。
さてさて、そうした外界の生き金というと東方的に思い出す御方は言うまでもなく三途の川の船頭の小野塚小町です~♪
小野塚小町は、地獄の閻魔様というのか地獄の最高裁判長でもある四季映姫様(役職名=ヤマザナドゥ)の
直属の部下であり、その主な仕事は、死者の魂を彼岸へ運ぶ三途の川の船頭という事です。
小町と映姫様の担当エリアは幻想郷内ですので、幻想郷内での人間とか妖怪の死者は
小町によって三途の川を渡り、そして映姫様によって最後のお裁きを受けるのです。
小野塚小町の最大の特徴でもあり魅力でもあるのですけど、
仕事がヒマな時はいいとして、仕事の合間とか休憩時間とかなんとか色々言い訳をしまくって、
持ち場を離れて想郷内をぶらついて仕事をさぼっている姿が目撃されていて、
幻想郷内最大のサボマイスターとかサボりの達人などと言われていたりもします。
上司の映姫様より「またサボっていて!!」とお叱り&小言を食らうのですけど、
そうやって怒られた時の、あの「きゃん!!」という叫び声はとにかくとっても可愛くて、あの「きゃん!!」を聞くだけで
小町に魅了されてしまいそうです。
外界で蓄財と内部留保にのみ夢中で「分配」を考慮しない方は、
幻想郷のすてきな三途の川の船頭であり死神でもある小野塚小町からのありがたいお説教に耳を傾けてほしいものです!
東方の世界における三途の川なのですけど、死者によって実は「河幅」が異なるとの事です。
その長さというのは、小町のような死神に渡す「渡し賃」の多いか少ないかによって 決まるとの事です。
金であればあるほどその河幅は短くなるとの事です。
こうやって書いていると、それって地獄の沙汰も金次第ってことなの・・?と思われがちですけど
実は違います。
渡し賃というのは、死者の全財産であり、その全財産というのは、いわゆる金銭ではなくて、
一つの徳、つまり人徳というものが現世の金銭に相応するとの事です。
生前、親しくしてくれた人たちが本当にその人のためを思ってどのくらいのお金を使ってきてくれたのかというお金の
合計がその全財産という事なそうですので、 要は生きたお金としての価値の尊さという感じなのかもしれないですね。
「お金はあの世にもっていけない」という事なのですから、 お金というものは生前において、
本人のためにも他人に広く分け与えるという意味でも そんなケチケチ貯め込まないで
「お金は使う事にこそ価値がある」といった考えを東方的に意図しているのかもしれないですし、
改めて東方の世界の奥の深さを感じたりもします。
幻想郷のそうした小野塚小町のような考え方を外界の分配理論に持ち込むだけで、外界における経済的問題の大半は
解決されそうでもありますし、それを世界規模に拡大解釈すると、もしかしたら世界で起きている紛争のほとんども
いい方向に収束できるのかもしれないです。
(世界の紛争は経済的側面以外にも宗教の問題も複雑に絡んでいるから一筋縄で解決は出来ないのかもしれないですけど・・)
お金という現生の毒薬は決してあの世には持っていけるものではないし、
ましてや現世での貨幣価値といった価値基準というものは、あの世においては通用するものではありません。
だから、お金というものは生き金というのか、この世で使うからこそ意味があるという事なのかもしれないです。
「お金は天下の廻りもの」という事ですから、
自分の為にだけ使うのではなくて、他人のため、困っている人のためにも使うからこそ意味があると言えそうですし、
そして、そうした他人のために使ったお金というのがいずれまたまた自分にも返ってくるというのが因果応報の本質とも
言えそうですし、ケチケチしないでお金がある時は、決して無駄遣い奨励という訳ではないのですけど、
自分のために半分、そして誰かのために半分を使った方がいいのかもしれないです。
それが現代社会で既に一つの大きな問題になっている「格差社会の是正」という事にもつながると思ったりもします。
現世で莫大な富を有している人の考えでは
俺が一生懸命努力に努力を重ねて、勉強を重ねて結果的に築いてきたこの財産を誰にも邪魔されないで貯め込んで何が悪い!
これはオレの金なんだぁーーー!!という事なのかもしれないですけど、
お金というものは自分一人で使えるのはたかがしれていますし、
それだったら「分配」というか、高額所得者はそれ相応の税金を払うとか寄付みたいな形で
社会に還元した方がいずれは、社会全体に冨が行き渡り、そうした事は必ず本人自身の更なる富にも繋がっていけるし、
結果的に「情けは人の為ならず」ではないけど、
他人のために使ったお金というのはいつかは自分自身にかえってくると思ったりもします。
そんなケチケチため込んだり、内部留保したって、一向に世の中全体の景気回復には役立たないはずなのですけど、
それが出来ないのは人間の「業」と言えるのかもしれないです。
東方の「あの世」の概念は、現世の貨幣の価値基準をバッサリと斬り捨てているのは大変興味深いものがあります。
「地獄の沙汰は金次第」と言う事は幻想郷の死神や閻魔様達にとってはありえない概念ですし、
現世のお金に関する価値基準はあの世の世界では一切通用しないどころか、その概念を小野塚小町に持ち込むと
えらい目にあってしまうというか、万一そうした渡し賃をこの世での概念同様に渋ってしまうと、
三途の川すらも越えられず、地獄に行くか冥界に行けるかという閻魔様のお裁きすら受けられずに
小町によって船から叩き落され、川の中の化け物魚たちに食われてしまい、永遠に彷徨い続けるというのは、
この世の「金の亡者たちの無慈悲」を見るたびに、逆に胸がすかっとするものがあったりもしします。
小野塚小町というと幻想郷のすてきなサボリの名人という印象もあるのですけど、小町のそうした考え方こそが
外界における分配論のヒントにももしかしたらにりうるものなのかもしれないです。
ご紹介が遅れましたけど、冒頭の色鉛筆で描かれたすてきな絵は、
未使用品 コナミ ニンテンドー3DSLL NEW ラブプラス+ ネオデラックスコンプリートセットのアミグリさんが2014年2月に色鉛筆仕様のアナログで描かれた
小野塚小町です。
とても色鉛筆だけて描かれたとは思えないほど色彩感が充実しるようにも感じられます。
ピンクと青の対比がとってもフレッシュに感じられますし、ツ―サイドアップも髪飾りもとっても可愛いと思います。
このふんわりとした優しい色彩感が見ている人になんか「やすらぎ」を与えてくれそうなのですけど、
こういう地獄の使者ならば、
是非是非私も小町と一緒に三途の河を渡らさせて頂きたいものです~♪
アミグリさんが描かれた小町はそうした「地獄の使者」というよりも弥勒菩薩様のような優しい雰囲気を私達
に伝えてくれているようにも感じられます。
続きましてアミグリさんが2018年7月に描かれた「水着こまっちゃん」です!
アミグリさんの描かれる水着こまっちゃんはかわいいですし、プロポーションがとても抜群で
胸の豊かさ・腰の見事なくびれに目が釘付けになってしまいそうです~!
水着もワンピースやパレオではなくて フリル付のビキニというのが
こまっちゃんの「すてきなお姉さま」らしさを演出されているとも思えます。
小野塚小町の上司は地獄の閻魔様=最高裁判長の四季映姫様であり、映姫様は元々はお地蔵様のご出身という事で、
プロポーションに関してはぺったんこであり(←こらこら・・汗!)
映姫様と小野塚小町は二次創作ではよく「上司と部下の胸の格差社会」と揶揄されがちではありますけど(汗・・)
こまっちゃんのあの豊かな胸と抜群のプロポーションと腰のくびれを見せつけられてしまったとしたら、
閻魔様の映姫様ですら、水橋パルスィみたいな「妬ましい・・」みたいな感情に瞬間的に陥ってしまいそうにも思えますね~
かわいいけど同時に美しいお姉さまという雰囲気に溢れた素晴らしいこまっちゃんだと思います。
ツーサイドアップの髪がふわっと空に舞っているような雰囲気やこまっちゃんの太ももがとても眩しくて
夏に相応しい一枚だと思います。
髪とビキニと海のキラキラもとっても気持ちよく飛ばされていて見ているだけで心地良いです。
(特に背景の海のキラキラ感の演出が一層夏らしい雰囲気を見事に醸し出しているように感じられます!)
小野塚小町は幻想郷内では大人・お姉さんみたいな立ち位置だと思うのですけど、
こまっちゃんのツーサイドアップと髪を束ねている髪飾りのかわいらしさが現役の外界のJKさんみたいな雰囲気をもたらして
いるのかもしれないですね(笑)
そしてJKさんみたいなかわいらしさを秘めながらもこの腰のくびれの大人のお色気も同時に備わっているという
奇跡的な作品だと改めて感じたものでした。
ツーサイドアップというと、少し大人びた少女がする髪型みたいな印象もあり、東方では小鈴・にとり・サニーミルクが
そうした少女っぽい雰囲気を有しているのですけど、小野塚小町のツーサイドアップは、
少女というよりは幻想郷のすてきなお姉さま・・みたいな雰囲気の方が強そうですね~!
こうした髪型もこまっちゃんにはよくお似合いだと思いますし、大胆なビキニと合せて、思わず見とれてしまいそうですね~!
上記のアミグリさんが描かれた小野塚小町の権利は、小町の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。
アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!
やっぱりお金は天下の廻りモノといえますし、楽して儲けたあぶく銭というか悪銭は見につかないものなのかも
しれないです。
大体の大きさは、高さ:約5,2cm、径:約6cm程度になります。
プロフィール
原田拾六
1941 瀬戸内市長船町生まれ
1964 明治大学農学部農産製造学科卒業
1969 作陶をはじめる
1971 小穴窯を築く
1972 登窯を築く
1974 各地の画廊・デパートにて個展を始める
1978 桂又三郎氏「喜寿記念展」出品作品を来宅にて制作
1979 主婦の友社「窯別現代茶陶大観」に選出される
1981 小冊「備前の歴史」桂又三郎監修により出版
1983 オーストリア国立民族博物館にて桂又三郎氏と二人展
1991 牛窓阿弥陀山に穴窯を築く
1993 京都書院刊「陶」シリーズに選出され作品集出版される
1997 同朋舎刊「陶21」に選出される
2000 日本陶磁協会賞受賞
2002 日本放送出版協会刊「茶陶 歴史と現代作家101人」に選出される
岐阜県現代陶芸美術館開館記念展「日本陶芸の展開」出品
2003 東京都庭園美術館現代日本の陶芸「受容と発信」出品
2004 茨城県立陶芸美術館備前焼の魅力「伝統と創造」出品
箱は多少の痛みはあります。
この他にも出品しておりますので宜しければご覧ください。